ホーム > 歴史・文化スポット > 黒部ダムの歴史

 

黒部ダムの歴史のご紹介

「世紀の難工事」といわれた黒部ダム建設。幾多の困難を乗り越えて美しい黒部ダムは完成しました。 最も急がれた工事が、大町トンネル(現在の関電トンネル)の開通でした。北アルプスの黒部川上流のこの地に資材運搬のために掘ることになり、厳冬中も休まず掘り続けられ、工事は順調に進んでいました。 ところが昭和32年5月、入り口から2,600mの地点で毎秒660リットルもの地下水と大量の土砂が吹き出しました。大破砕帯に遭遇したのです。掘り進められず工事は中断。一時は開通が絶望視されましたが、当時の最新技術と土木工学の英知を結集し、苦闘の末に7ヶ月の期間を要し、ついに破砕帯を突破したのです。その模様は小説や石原裕次郎主演の映画「黒部の太陽」に描かれ、現在に伝えられています。 ダムえん堤東側の一角には世紀の大工事と言われる黒部ダム建設の殉職者慰霊碑が建設され、犠牲となった殉職者171名の名前が刻まれています。

「黒部ダムの歴史」詳しくは黒部ダムくろよん50周年記念をご覧下さい。




概 要

住所 富山県立山町芦峅寺
入場など 見学自由
営業期間 例年 4月上旬~11月下旬
(※積雪状況により多少前後します。)
交通 関西電力黒部ダム駅→徒歩5分


地 図


大きな地図で見る